考古学 近世薩摩焼の考古学研究 考古学 薩摩焼 窯跡 生産と流通 技術変容 豊臣秀吉の朝鮮出兵時に連れてこられた朝鮮陶工に始まる薩摩焼の歴史。薩摩焼の研究は伝世品を中心に美術史的・文献史的に行われてきました。しかし窯跡や城下町などの遺跡の発掘調査によって、江戸時代の庶民が日用品として使用していた薩摩焼が大量に出土しています。これら「普段使いの薩摩焼」を考古学的に研究することで、江戸時代の薩摩焼の技術や流通の変遷、当時の人々の生活などを明らかにし、薩摩焼の歴史を新たに掘り起こすことを目的としています。 薩摩焼の窯場は藩窯で白薩摩など高級品を焼いた竪野系、甕や壺、土瓶などを生産した苗代川系、碗や皿が中心の龍門司系の3系統が代表的なものです。(1)編年的研究:当初は朝鮮風だった薩摩焼が、次第に変化して鹿児島独自の薩摩焼の特徴を備えていきます。その特徴から、薩摩焼の時期的変遷を明らかにします。(2)技術論的研究:薩摩焼を生産する技術は、なにを作るかによって、また時期によって異なります。窯跡の発掘調査などにより、その技術の特徴と変遷を明らかにします。(3)流通論的研究:薩摩焼のうち、どのような種類のものが、どのような地域、どのような社会階層に流通し、使用されていたかを、消費地遺跡の調査成果を手がかりに明らかにします。薩摩土瓶は江戸後期、江戸や上方にも流通し人気を博したようです。庶民の日用品は薩摩焼、上流階級ほど中国や日本各地のの焼物を使用したこともわかります。 磁器が生産された薩摩川内市平佐焼大窯跡の発掘調査(2003年)日置市美山苗代川窯跡群採集の土瓶と窯道具鹿児島の伝統工芸である薩摩焼。身近な存在でありながら不明点が多い400年余りの歴史を、考古学的に解明しようという活動が本格的に始まって20年ほどです。窯跡の発掘調査によって薩摩焼の技術や製品の変遷がわかってきました。また出土した薩摩焼の生産地や年代などを推定することで、遺跡や遺構の年代・性格、流通範囲などを推測できます。伝世品の見直しにつながる発見もあります。まだ発掘されていない窯跡等も多く、今後の調査で新たな歴史的事実が判明すると考えられます。 ●発掘現場での薩摩焼の生産地や年代の推定に協力できます。●講座などで考古学から見た薩摩焼の歴史について話すことができます。 薩摩焼を考古学的に研究することで、薩摩焼の歴史や技術の変遷だけでなく、江戸時代の人々の生活や文化の交流が明らかになります。発掘現場での調査はもちろん、薩摩焼への理解を深めるセミナー等へのご協力が可能です。
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